チタンでお答えする会社、昭和のウェブサイト

チタンの昭和物語 ~小さな会社が見た世紀の夢~

 

■創立より初期の昭和

1964年の冬、日本の片隅の生駒という町。たった数人の、けれどチタンという金属の可能性に大きな夢を描いたメンバーが集まりました。「チタンで自分たちにしかやれないことをやろう」と、私たちがつくった小さな会社。これが今も“夢の金属”チタンにこだわり続ける「昭和」の始まりです。

 

■『AZEKURA』誕生 

会社を起こしてまず取り組んだのは“ビジネス探し”。チタンをどんな形で製品化するか?どんな需要があるのか…業界を見渡して、最初に注目したのが電気メッキ用のチタンバスケットでした。当初は高級品のイメージがあり、普及率がまだ低かったのです。

顧客に製品を導入してもらうには、メリットを直接、実感してもらうこと。そのためには、昭和最初の製品は、従来にはなかった高性能なチタンバスケットにしなければ─。そこで、着目したのが“三角線”の使用です。三角線を使ったチタンバスケットを研究すると、地金の投入がスムーズに行えるうえ、電流分布率・電解電圧でも従来タイプをはるかに超える優秀なデータを示したのです。

「昭和が世に送りだす、初めての発明品だ」。私たちは、このニュータイプのチタンバスケットに『AZEKURA』と名づけました。あぜくら─三角形の木材を組み合わせた壁面で湿度を調整する、奈良時代の収蔵庫。その機能は1200年を経た今も健在です。古人の叡智にちなみ、私たちも知恵と新しい発想でチタン業界に新風を巻き起こそう。そんな思いで『AZEKURA』
は誕生したのです。

■素材加工に取り組んで

「腐食でお困りのことはないですか?」。その頃の私たちは、毎日、酸を使用する工場を訪ねては、チタン製品の導入を検討してもらうのに一生懸命でした。初期の昭和製品のキーワードは「小型」と「高性能」。営業の一方、工場では可能な限り軽く、薄く、丈夫な製品を…と、様々な面で工夫を凝らし、改良に改良を重ねていました。

しかも、求められる製品を加工するには「素材がない」のです。1960年代当時、チタン素材は品種、形状が極めて限られており、例えば製品を作るのに「3ミリの板が欲しい」と思ったら、まず自分たちで厚い板を薄く加工することから始めなければなりません。

薄い板、細い棒、四角や六角への加工…。私たちは圧延機を買い、伸線機を作り、さらに造管機、焼鈍炉、スウェージングマシンなどあらゆる手段で必要な素材を作りました。

素材の加工から製品の開発・製造までを、すべて自分たちでやっていると、ビジネスとしての利潤は少なくなってしまいます。しかしこの時期、私たちは大いにチタン加工のノウハウを蓄積し、自信を深めることができました。

■“パウダーバー”製造に成功

次の課題は“他の金属との接合”でした。チタンの用途をさらに広げ、その特徴を生かすには、コストや電気抵抗の高さを克服する必要があったからです。チタン+銅、チタン+アルミ、鉄、ステンレス…私たちはさまざまな金属で試行錯誤を続けた結果、独自の接合技術を確立したのです。

優れたチタン製品をより安く、広く普及させるために、チャレンジすべき課題はまだいくらでもありました。「無溶解でチタンの屈伸材を造れないだろうか?」。それが実現すれば、チタンの可能性はぐんと広がります。ヒントは“粉末治金”にあるとわかっていましたが、ネットシェイプはできても屈伸材にはならないのです。

しかしその頃、私たちはすでに、チタンと他の金属材料との界面拡散接合に成功していました。「その技術を応用すれば、可能なはずだ」そう確信を持ち、チタンの粉末屈伸材の試作に取り組んだのでした。

スポンジチタンメーカーから粉砕時に発生する粉末チタンを貰い受け、純チタンのチューブに充填。これをアルゴンガスで密閉後、過熱鋳造を繰り返し、スウェージング加工を行います。ところが、酸素の影響や表面の割れなどのトラブルで、思うような成果はなかなか得られませんでした。

2年にわたる試行錯誤の連続。そしてついに、25.4mm径の“パウダーバー”を12mmに、やがては0.5mmにまで 縮径することができたのです。

■技術力こそ昭和の財産

1980年、急激に需要が伸びていたチタン業界では、素材入手が困難になりました。この時期、私たちはパウダーバーを月に2トン以上製造・販売することができました。最終的にはチタン素材メーカーの供給能力が向上し、私たちのパウダーバーはコスト競争力を失ってきましたが…。

しかし、素材として販売したという価値以上に、私たちには大きな財産が残りました。それは“技術力”です。経験の積み重ねで培った技術力こそ、ほかの誰にも真似のできない昭和の財産です。ある時、メガネフレームを製造する会社から「チタン製フレームを開発してくれないか」と依託を受けました。私たちはパウダーバーの技術を応用し、リム用の線材、溝付き線、異径線を開発することができました。この製品は現在も製造を続けています。

このように、初期に取り組んだ素材加工は、私たちにとってひとつの分野を築かせてくれました。特許を70件以上獲得し、技術の昭和としての地盤を築くことができたのです。

寝ても覚めてもチタンのことばかり考え続け、昼間は顧客を回り、夜は工場で実験を繰り返す毎日。それが昭和設立からの10数年間でした。やがて1980年代に入ると、私たちは新たに会社の方向性を決める時期にさしかかるのです。

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